堂本剛を考える夜

こんばんは。

学校へ行こうでやっていた「未成年の主張」を見て、汚れなき若さに大いに胸を締め付けられています、ひかりです。

先日、堂本剛に近づく夜を過ごしました。堂本剛について考えました。突然そんな衝動に駆られたのです。厳密に言うと、半分ほどは堂本剛と自分との距離感をはかっていました(激しく一方的に)。ふと剛さんが見たくなって、何の気なしに動画サイトで“堂本剛”で検索。ラジオの音源がいくつも出てきて、剛さんの話をぼーっと聞いてみましたが、余計好きになったのか、余計分からなくなったのか、入り組んだ後味でした。悩んでいる十代の声に応えたり、自分の経験を混ぜながらアドバイスしたり、自分と音楽について話したり、とにかくスラスラと言葉を並べていく剛さんをもっと知りたくなりました。手始めに、彼のWikipediaのページを最初から最後まで読んでみました。ラジオでも多く話に出ていた病気のこと、辛かった十代の時の葛藤、好きな色、嫌いな考え、色々な情報を一度に知って、少しだけ堂本剛に近づきました。近づいて、より好きになった感じもするけど、なんというか、自分がどんな風に剛さんのことが好きなのかがよく分からない。普通にアイドルとして、タレントとして追いかけたいのか。でもそうやって剛さんを見るには、彼の中身を知りすぎている。そんな見方が正しくない人であることや、そんな風に見られることを望まない彼の生き方や。では堂本剛という人間を、生き様を、音楽を、隅まで愛し抜いている段階なのか。(“段階”というのは相応しくない気もするけど。)剛さんのファンというのはそういう人が多い印象。剛さんの癖のある音楽やファッション、強いメッセージに、生きるヒントまでもらって、堂本剛を見つめている人をよく見かける。そういう愛し方がちょっと羨ましい気もしていたけど、そうしようと思ってする応援のしかたでもないから、剛さんとの距離をじりじり測っていた感も若干ある。では実際、少しではあるが堂本剛の芯に近づいた今、自分は純粋に堂本剛そのものに惚れていて、彼の人生に関わっていたくて、彼の音楽を必要としていて、いつか見かけたファンの方の言葉を借りるなら、堂本剛に関わるすべてを大切にしたいと宣言できるか。先に書いたように、まだよくわからない。わかるべき問題でもない気がするが、どうせ応援するなら明確な意志を持っていたいし、こんなに中身の濃ゆい人間なら、まっすぐついていきたい気もする。でも剛さんは、もっと軽い気持ちでのんびり見ていてほしいのかもしれないけど。今の時点では、それもよくわからないので、つまりはまだ堂本剛の思考をマスターしていないということ。

なんかごちゃごちゃしてきましたが、結局私は、好きになった剛さんがこういう人間だったのか、こういう人間である剛さんが好きなのか、その辺りでうろうろしているんだと思います。翼のように自分のツボにぴったりな男性で、愛すべくして愛している人なのか、難しいです。でもこんなこと真剣に考え始めている時点で、もう剛ワールドに引きずり込まれている気もします。例えば、仮に今、剛さんに彼女がいると言われても、剛さんが誰かをまっすぐに愛している事実に不思議な幸せを感じる気もするし、大事な人を大事にしている剛さんがかっこいいとも思ってしまうかもしれません。これは結構、アイドルへの愛としては屈折しているはずなので、剛さんに惹かれている根拠として有力でしょう。ちょっと変わったものが好きなのか、ちょっと変わったものが好きな自分が好きなのかあやふやですが、そこを探る作業、剛さんを応援する時間に、何の損も無いだろうから、またゆっくり彼に近づいてみたいと思います。それにむしろ、与えてくれるものばかりです。他人の痛みに目を向けたり、社会の課題に気づいたり、故郷の匂いに感謝したり、音楽の素晴らしさを確認したり、今の時点で既に、剛さんからはたくさん教えられています。なので、一度ハマったら一直線な性格を今は無視して、じっくり楽に、堂本剛の後ろを歩いてみます。